俺もお前も差別はやめられてない。(今回は性差別)
人は何かと差別をしてしまう。
最近では日本にはなかったLGBTQへの理解、フェミニズムやヴィーガンについての認識も高まってきた。
この前代未聞の最大加速で進むダイバーシティのネット社会ではたして差別を打倒することはできるのだろうか。
私は不可能だと思う。
※ここで私が言う差別は差別ではないのではないのか?という人へ。 差別か差別じゃないかは場合によっては私が決め、貴方が決めることであって、私が決めることでも貴方が決めることではない。
1 性的差別
最近トランスジェンダーについての本を読んだ。
正直トランスジェンダーの認識は複雑かつ、自分自身でも完全に理解できているとは言い切れない(勉強不足で申し訳ない)ので言及はさけたいが、私はトランスジェンダーについて名前は知っていたが実際の実情までは詳しくしらなかった。
しかし、トランスジェンダーについて知った時、まず男と女の2つの性別しかないと考えるその大前提がもはや間違っていると私ははっきり理解したことは確かだ。
そう考えると日常生活には様々な性的差別(性的区別と思う人もいるかも知れないが、もはや差別だと言える。)がある。
大きなところで言えば
トイレだ。 トイレには男子トイレと女子トイレしかない。
しかし、トランスジェンダーの人はどちらにも属さない第三のセックスなのだからトランスジェンダーの人からしてみれば差別的だと言える。
服装もそうだろう。
スカートは女の子が履くもの、ブラジャーは女の子がつけるもの、ネクタイは男がするものなど。
それは差別でないという認識はもはや正解ではないのだ。
(上記で述べたのは記号的差別。女はピンク、男は青だとか)
私も今までずっとそのような差別をしてきた。
男は戦隊モノが好きだろうとか、女はファッションが好きだろうとか、なんだか今思えば決めつけも決めつけ、偏見も偏見。
そういう世の中で生きてきたことに違和感を感じてきたのだ。
でもそれがわかりやすいレッテルであり、仲間意識をつくりやすい。
だから女はああだこうだという会話が飲み会の席で盛り上がるし、
男はなんだかんだという会話が喫茶店で繰り広げられる。
しかし、今まで成り立ってきたその日本の風土を正しいからという理由だけでかえられるだろうか?
日本人の笑いどころというか、お笑いのシステムはおかしな人(を演じる芸人)がいて、なんだかそれが大前提にある常識(この常識は今崩壊し始めているが)ズレてるからなんだか面白かった。
そこでダイバーシティを認めてしまえば今までのお笑いのシステムは崩壊する。
例えば、コントで女性キャラを演じる男のおもしろさだ。
女性キャラの何が面白いかといえば、見るからに男性なのに、女装をして女子になりきれてないから面白いことではないか?(ちがってたらごめん)
そう仮定した場合、マジョリティセックスである異性愛者の我々は笑えるかもしれないが、そうではないLGBTQに分類される人(分類という言葉は全く適切ではないが)は面白いと思えるだろうか。
たとえそれらの人が笑えたとして、それは日本の男女の認識の中で笑っているに過ぎない。(と思う)
だから
日本ではその認識を変えることはできない。
差別をなくすことができないのだ。
我々は差別をやめることはできない。
しかし
差別を認識した上で
相手を思いやることはできる。
LGBTQやジェンダーを心のなかに止めておけば、思い出して配慮できる。
そしてそんな認識を思い出させるのはマイノリティの声だろう。
性的差別を感じたときはそういえばいい。
我々は無知な部分が多いので間違ってしまう。しかし、間違った部分は指摘されなければ間違ったままで同じ過ちを繰り返す。
だから、マイノリティは大きな声で間違っていると言ってほしい。
そして私は性的マイノリティの人々とまだ仲良くなったことはないが、そのような人間と仲良くなった日のためにここに書いたことは忘れないでいようと思う。
おやすみなさい。