ハッピーシュガーライフを最終回まで見た感想。
最終回まで見ました。
アニメって考えさせてくれるお話が多くて好きです。
今回はハッピーシュガーライフの話ですが、完全に最終回まで見た人向けで話してますのであしからず。
人を殺してでも、愛するひとを守り抜かなければならないという主人公(さとちゃん)の心情は11話までは主人公と、愛する人の時間の共有、生活の共有、幸せな時間の共有(角砂糖を同じ瓶閉じ込める)ものだったと思う。
しかし、12話の後半Bパートでは、ますます嫌な予感のする展開になっていき、主人公にとっての的が現れて、お互いのエゴを押し付け合う。
そして最終的には主人公は愛するものとの死を覚悟するのだが、マンションの13階から飛び降りた時、走馬灯のようにもしも生き延びて、楽しい生活を共有できたら、、、という気持ちが主人公の頭の中に映し出される。
ふと我に返ると、「本当の愛とは命をかけてでもその人を守りたいと思う気持ちだ」と知るのである。
その結果主人公は愛するものが助かるように自分が下敷きになってしまう。
そして、この物語はそこで終わってもメリーハッピーエンドとしては成り立つし、その切り方は結構あると思う。
がしかし、その後愛された者の物語も語られている。
その後は愛された者の中に主人公という存在が生き続ける。
つまり、残されたものはずっと愛し続けなければならない。ということだ。
人は死んだ人をなおも愛し続けることができるのか。夫が死んで再婚なんて山ほどある話で、それは誰も攻めることはできないだろう。しかし、そこに本当の愛はあるのかと問われれば答えに詰まってしまう案件である。
だが、この作品は、死んだ人はこころの中に生き続け、愛し続けるのだ。
本当の愛とは無性に相手を思い続けることであり、何事も許し続けることであり、その人のことを思ってやまないものなのだ。
私は今まで人を本当に愛したことがある人をまだ見つけたことがないのかもしれない。
そして自分もまだそうなれていない。
そんな感想を持った。