デリシャスタイム

ただ感情の隆起した部分をここに詰め込んでるだけです。

大森靖子もYogee New Wavesも嫌いじゃないけど、大森靖子はもっと好き。

この間のぴあフェス騒動みなさんしってますか??

ツイッターで今話題になりつつある話なんですけどね。

ピエール中野さんがリツイートめっちゃしててかなりの頻度で目にする機会があって、いろいろぼくにも思うことがあったのでここでお話させていただこうと思います。

 

こんな僕の誰も見てないようなブログで書くのさえおこがましいと重々承知でございます。でも、この気持をツイッターで吐露しようにも140文字では収まらない気持ちが生まれたので、ここに書かせていただく次第です。

 

騒動について。

この騒動の発端は先日行われたぴあフェス。

そこで大森靖子さんが「音楽を捨てよ、そして音楽へ」という曲の中で「音楽は魔法ではない。」という歌詞を歌に乗せってメッセージしました。

 

そして、そのあとYogee New Wavesさんが「音楽は魔法だよ」というMCから入って、そのことで大森靖子さんが苦言を呈するというものでした。

そしてYogeeさんのベースの弦が切れて、許可なく大森靖子バンドのベースを借りたことも自身の音楽についての冒涜だという事も言われています。

詳細については

これを御覧ください。

拙い説明でしたが、上のブログを見ていただければわかると思います。

 

 

ここからが本題で、このことについて私の思うこと

大森靖子は音楽は魔法なんかじゃないというメッセージを残している。

けど、それはパラドックス的解釈だ。

音楽は魔法じゃないけど、魔法より劣ったものだという考えではない。

むしろ魔法っていう曖昧な言葉よりよっぽどしっかりした概念を提示している。

「音楽を捨てよ、そして音楽へ」の歌詞の最後でこう述べている

音楽は魔法ではない音楽は魔法ではない音楽は魔法ではない音楽は魔法ではない音楽は魔法ではない音楽は魔法ではない音楽は魔法ではない音楽は魔法ではない
でも音楽は
 
最後の「でも音楽は」のあとに続く歌詞を考えてみてほしい。
そんなの100通り、1000通り、いや、無限の考え方があっていい。なきゃおかしい。
でもそんな答えのないことが正解な音楽。それが、音楽だし、芸術というものの答えである。
答えがないまま終わるこの曲を答えを見出そうとしないで聞こうと私は思っている。
結局音楽に答えを導き出すのは聴く側なのだ。それだからこそ、音楽を魔法だと思う人間がいてもいいし、音楽が魔法ではないという考えがあるのだ。
 
でも、音楽が魔法だという言葉の重みというのは計り知れない。現実に生きているのに、理想主義すぎる。 今ある人の悩みが音楽だけで解決できるなんてありえない。音楽は魔法じゃない。
人の悩みを解決するのは自分自身であるし、解決への動機づけに音楽はなりうるかもしれないが、根本的に刹那的にすべてを解決できる万能さは持ち合わせていない。
もしあるとすれば、それを現実逃避という他ない。
音楽が魔法だと簡単に言う人間はたぶんその言葉の重さを知らない。本当に音楽を、自分から出る一音一音を守り抜いている人間は音楽を魔法なんて薄っぺらい言葉では表現できない。そんな綺麗な部分だけ抽出したような言葉だけじゃ満足できない。
私はそう思う。
 
Yogee New Wavesの音楽も私は嫌いではない。好きになれる要素はある。
けど、それは結果として流れる音楽を好きなのであって、その過程などどうでもいい。
人柄なんてわからないから、知らない。しろうとする気持ちにもならない。
ただ耳に心地いいだけの音楽。 娯楽としての音楽だ。
一時的にそれに興じることはあるとしても、なにか心に訴えかける説得力はない。
これはかなりの偏見ではあるが、たぶんこの人達の曲をMusicFMなどの違法アプリで行く人のほうが多いんじゃないか。
そうやって、音楽を殺す人間たちが音楽を殺すシステムで曲を聴く。そういう人間に弄ばれる音楽と思えるほどに。音楽キラーたちがこぞって魔法という言葉で表現したがる。 「魔法のような」ではなく、「魔法」と言い切ってしまう。
そんな薄っぺらさが今回にじみ出てしまった。
 
 
 
でも大森靖子の音楽は違う。
音楽になるまでの過程が好きだし、ピンポイントに心をほじくり返して、なにかどす黒い液体を入れられて、そして固まったときにわかるその感覚。
音楽を通して大森靖子という人間の人間としての価値、人間性、そしてなにか私の心に残した傷跡がある。
現実と向き合わせてくれる。
 
 
音楽は魔法ではなく、薬だ。
合法ドラッグ。 しかも、使用制限もない。
 
ただ、一つの症状に対する薬は無限に存在し、激しく個人差があり、使用法や、試用期間を間違えると大変なことになりかねない。
そんな音楽を私たちは、どのように向き合えば良いのか。
わかったふりして分かってないのが私。
 
でも、そんな音楽を探し続ける努力だけは忘れないでいよう。
そう思えた。
 
 
 
余談だが、音楽をほんとうに愛してやまないのなら、お金を払え。
 
対価を払ってこそ本当に自分の好きなグッドメロディを大切にできる。
 
最近じゃフェスに行ってもMusic FMで曲を聞く人間ばかりだ。 うんざりする。
貴様らが興じる音楽ほど綺麗事で、薄っぺらいものなどない。
 
本当に心の底から根っこの部分から音楽のホルマリン漬けになってる人間はもっとどす黒くて、信じるものがあって、汚れてた美しさがある。濃縮された思いがある。
魔法以上の存在であるのだから。