ハッピーシュガーライフを最終回まで見た感想。
最終回まで見ました。
アニメって考えさせてくれるお話が多くて好きです。
今回はハッピーシュガーライフの話ですが、完全に最終回まで見た人向けで話してますのであしからず。
人を殺してでも、愛するひとを守り抜かなければならないという主人公(さとちゃん)の心情は11話までは主人公と、愛する人の時間の共有、生活の共有、幸せな時間の共有(角砂糖を同じ瓶閉じ込める)ものだったと思う。
しかし、12話の後半Bパートでは、ますます嫌な予感のする展開になっていき、主人公にとっての的が現れて、お互いのエゴを押し付け合う。
そして最終的には主人公は愛するものとの死を覚悟するのだが、マンションの13階から飛び降りた時、走馬灯のようにもしも生き延びて、楽しい生活を共有できたら、、、という気持ちが主人公の頭の中に映し出される。
ふと我に返ると、「本当の愛とは命をかけてでもその人を守りたいと思う気持ちだ」と知るのである。
その結果主人公は愛するものが助かるように自分が下敷きになってしまう。
そして、この物語はそこで終わってもメリーハッピーエンドとしては成り立つし、その切り方は結構あると思う。
がしかし、その後愛された者の物語も語られている。
その後は愛された者の中に主人公という存在が生き続ける。
つまり、残されたものはずっと愛し続けなければならない。ということだ。
人は死んだ人をなおも愛し続けることができるのか。夫が死んで再婚なんて山ほどある話で、それは誰も攻めることはできないだろう。しかし、そこに本当の愛はあるのかと問われれば答えに詰まってしまう案件である。
だが、この作品は、死んだ人はこころの中に生き続け、愛し続けるのだ。
本当の愛とは無性に相手を思い続けることであり、何事も許し続けることであり、その人のことを思ってやまないものなのだ。
私は今まで人を本当に愛したことがある人をまだ見つけたことがないのかもしれない。
そして自分もまだそうなれていない。
そんな感想を持った。
「カメラを止めるな!」まだ一回しか見てませんごめんなさい。 10回は見ないとだめですよね。すいませんでした。
ごめんなさい。まだ一回しか見てません。ホントは少なくとも10回は見ないとレビューすること自体がはばかられると思いますがお許しください。(上映数も上映してる映画館もすくねえんだ。あと、レビューすること自体が愚行なのかもしれない。)
7/30に名古屋のシネマスコーレで見てまいりました。
噂によれば、朝9時半からナイトショーの整理券販売ということで、朝早くに起きて、9時半前にはシネマスコーレにつくようにしていたのですが、私が購入できたのはなんと17番目。整理券を購入しに来たお客さんもワクワクしながら、そわそわしながら暑い中買いに来ていて、それはもう見る前からテンションがぶち上がったしまったわけです。(名古屋ではそのインディー映画小劇場でしかやってないのがこれまた。)
シネマスコーレでは、立ち見も出ていて、小さな劇場ですが、笑い声も相当充満した空間で、いい意味でスカッとするようなシネマでしたし、この映画自体が映画館で笑うことをはばからない内容となっている!!(もはや笑える映画というだけでもネタバレになりかねない)
今やネットだけでなく、テレビでも宣伝されて(ネタバレされて笑)特にスッキリのネタバレはほんとひどいと伊集院光もラジオで酷評していましたが、まぁ特にネタバレ無しで見たほうがいい、なんなら予告編さえも見ないでいってくれ、映画のポスターに書いてある文字も読むな、しまいには、映画のポスターも観るな!!と言われて甚だしいわけです。
例えるなら、初めてディズニーに行ったときの感覚、はじめてのチュウの感覚、初めて好きなアーティストのライブに行く感覚そんなすべての初めてを完全に楽しむためにネタバレは聞かないでくださいお願いします。というわけです。
もうネタバレ(上映宣伝)してるテレビ局側は、初めて見る面白さ、驚きを味わえない悔しさに怒り狂って、まだ見れていない(見たくても)人たちに意地悪しようとしてる人たちが番組の宣伝特番や、宣伝コーナーを企画したに違いない!そうとしか思えない!!!(被害妄想)
そんな期待値がスピード違反して、振り切ってしまっている中で映画館になるだけネタバレされるものを見ないようにして行ったわけですが(予告編は耐えきれず見てしまいました。)、前半の前振り段階でいつ面白いことが起こるのか、いつ俺をワクワクさせてくれるのか!!!!いつでも待ち構えてるぞおおおお!!???って気持ちで見ていたから、第一幕が終わった瞬間に、「あぁ、なるほどね。 んで?これでおわりじゃああないんだろおおお???俺をもっとワクワクさせてくれよおおおお??(ベジータ的ノリ)」的な気持ちで高ぶってしまいました。(ニヤニヤが止まらねえのなんの。)いつ大笑いできるのか、まさにペ・ヨンジュン出待ち濡れ濡れババア状態だったんです。(失言)
そしたら後半どんどんテンポが速くなっていって、内容が深まるうちに、観客の笑い声が爆発する。見てる側も、いつ爆笑できるのかもう待っている感じなんです。
もう、みんなここだというタイミングで笑おうとしてる。
もうわざとらしく、笑おうとしてる。そう思えるほどでっかい笑い声が響いてるんです。
ワクワクせざるを得ない!!!
それにこの映画、蛇足は一切ない、ただただラストシーン(これはどこからがラストシーンかわからないくらいすごい勢いで。もう後半ずっとラスト)に向かって突っ走って、見終わったあとの多幸感は劇場から出た観客を包み込んでいた。
そして、「初回の驚きがすごすぎてるけど2回目見に行こうと思えるのか?」と聞かれたら大半は「もちろん、もう一回見に行きたい。」と言うだろう。
てかもう2回目は最初っからニヤニヤしちゃうよね。もしかしたら声出して笑っちゃうかもしれないから、初見の人に睨まれそうだよね。そこで思うのは、やっぱ初回の人と、2回目の人で劇場分けたほうがいいレベル。
インディー映画とは思えないほどのクオリティなのはもちろんだったし、見た人しかわからないこの感覚。あぁーやっとこんなに口コミされてる理由がわかった。スッキリ!!(朝の番組のほうは全くすっきりしないネタバレでした。)
あと、この映画見たあとに、いろんなレビュー観ると、すっげえ楽しい。
「そうそうそう!!確かにそうだよね!! うわああああさいっこう!!」そんな気持ちが溢れてくるから、映画を見たあとも余韻だけで楽しめちゃうんだよなぁ。
映画のネタバレしてくるやつって相当うざいけど、もうそういうやつさえもネタバレはできるだけしないようにしようとか思っちゃうだろうし、もうネタバレがタブーとされる映画ってこれ以上にあるか???というくらい。
もはや社会現象になってんだ。
くっっそおおおめちゃくちゃアツいな!!!
僕の友達みんな見てくれ!! 「よろしくで〜す!」←ネタバレ
未来のミライを見てきました。 ネタバレあり 賛否分かれに分かれるだろうなぁ。
細田守作品の特徴として
圧倒的引き絵
家族愛
二つの世界を行き来する主人公の成長ストーリー
があると思う。
家族愛と二世界を行き来する主人公が大まかなテーマ(サマーウォーズしかりバケモノの子しかり)で、それを元にストーリーが構成され、細かなメッセージ性を感じる良さがある。
今回の未来のミライはどうしたことか、今までの細田作品以上に突発的なトリガーに違和感を感じた。(たとえばベターなものでいえば、未来の世界を救うためにやってきた未来人が、現在の状況を変えに来るとかそういうものが全くない)
というのも、まず主人公のくんちゃんが未来のミライちゃんに出会うきっかけ(理由づけ)がすごく無理やりというか、なんなら意味がわからない。
(ここでは雛人形をしまってくれという部分)
この物語はある意味自分の両親や、過去に行って先祖に出会って主人公が成長するオムニバス的作品という捉え方もできるかもしれない。
しかし、それならそれで、ミライの存在は必要であったかは疑問が残るし、仮にあったとしてもミライの登場の仕方や、細田さんの好きな動物である飼い犬の存在の人間化もストーリーとの関連性はいまいち掴みずらい。(てか細田氏がただのケモナーなだけなのでは?とさえも思える。)
主人公の成長物語かと思ったらはずっと幼児のままで終わるし、主人公のくんちゃんが大きくなった姿(未来の姿)も映されるが、その過程でどんな経験を経て主人公のようなやんちゃ坊主があんなクールなイケメンになるのかがわからないし、その過程を描いてこそが細田守作品なのでは?と思ってしまった。
(あとくんちゃんって名前呼びにくいだろ。「くん」なのか「ちゃん」なのか「ペコ」なのか「りゅうちぇる」なのかはっきりさせてくれよ。)←ペコアンドりゅうちぇる関係ないだろ。
細田作品のお父さんの存在は草食系なよなよ貧弱男子だが、今作もそうだ。それにより現代的パパ像を描くのはわかるのだが、父親が刺さることを言うわけでもなければ、行動で示そうとするわけでもなくキャラクターとしての存在感はあまりなく、残るのは星野源の声だけだ。(あんなにも星野源すぎると逃げ恥連想しちゃうからやめてくれよ。)
逆に過去に遡った時に出会う、ひいおじいちゃんと位置づけられてる人物に乗り物に乗るときのコツを教えてもらうシーンの方がよっぽど父親を感じられた。
ミライがくんちゃんに過去にひいおじいちゃんが戦争から生還してなかったら私たちはいなかったし、とか、過去があって未来がある。というテーマを感じたが、もしそのテーマを伝えたいのであれば、過去と現在の中で描けばいいし、未来の存在は必要なのかがすごく疑問点だった。
今まで家族間での家族愛が主に重点化していた。今作では家族愛や大きな範囲の家族愛(ひいおじいちゃん)などのつながりはもちろん、先祖の奇跡のようなつながりによって今生きている(今の自分は存在する)メッセージ性は伝わった。
主人公のくんちゃんはそういったタイムトラベルの経験からの学びによって少し成長するのだが、そういうものってタイムトラベルからでなくて、家族から学ぶべきなのでは?と疑問に思ってしまう。
あとこの過程の設定が、結構成功者の家で、どこか貧しい暮らしの中で教訓を見出すのでもなく、平穏無事に満ち満ちた暮らしの中で展開するし、場面も家の描写ばかりである。強烈的に社会に訴えかけるテーマではないことは確かだ。ゆるい。
そこがなんだかなぁポイントでもあるなぁ
とにかくシナリオを取っ払って演出と世界観と作画で勝負した結果が今回だ。
確かに自分のクソガキ時代を振り返ればくんちゃんに感情移入はできるが、話が進むほどなぜか主人公がやりすぎではないかと思えるほどわがままなガキに見えてきてしまう。
色々まとまりなく語ったが、作画はそれは素晴らしかったし、風景画や、空の青さの表現や、あの柔らかい雪の結晶まで繊細な表現がなされていて素晴らしかったし、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの結婚秘話みたいなのも良かった。
残念ながら涙脆すぎる自分は泣いてしまったシーンもあったが、でも今までの細田作品以上に疑問点が多すぎて困惑してしまう作品だった。
夏が少し好きになれそうなのは少し大人になれたから。
私は夏が嫌いだ。
夏は僕らを殺しに来てる。 太陽は24時間稼働し続けているし、オゾン層はもはや僕らを守ってはくれない。 受け入れるしかない。この暑さを。
地球温暖化対策なんて言う前に、僕らが熱中症対策しないと死ぬぜ?
熱いのは害悪。 そんなふうに思っていた。(少なからず熱いのは誰でも嫌だろう。)
しかし、夏を好きになれなければ今や生きていけない。
夏祭り、海開き、スイカ割り、BBQ、水遊び、花火、浴衣etc...
夏の風物詩なんてものは多い。でも、インドアな僕にとってはあまり関係がないし、クーラーのきいた部屋でダラダラしてるくらいが夏だと思っていた。
しかし、最近ふと気づいた。
僕らは夏に甘える
全部夏のせいにして。
だから夏が嫌いな君も、一度夏に全部責任を負わせてみてくれ。
君が朝学校行きたくない。そんな個人的な理由を夏のせいにしてくれ。
君が仕事しなきゃいけないのに、ダラダラしている理由を夏のせいにしてくれ。
君が昼間からお酒を飲んでいることを、夏のせいにしてくれ。
君が仕事に遅刻したことを夏のせいにしてくれ。
俺がエロサイトをちょっと見ただけなのにPCがウィルス感染してしまったこと、夏のせいにしてくれ。
君が海で出会った湘南乃風を体中から発している男と勢いでヤってしまったなら夏乃せいにしてくれ。
君が夏に踊らされて付き合った彼女に秋に振られたなら夏のせいにしてくれ。
君が好きな子を夏祭りに誘ったが、既に別の人と約束していたのも夏のせいにしてくれ。
君がなにかやりきれないことに直面したとき、夏のせいにしてくれ。
夏のせいにして、自分を存分に甘やかしてくれ。
別に、どこかにパーっと遊びに行く必要なんてない。
些細なことでいいんだ。欲望を開放させてくれ。
夏限定のほろよいみんなは飲んだか?
あれを昼間から飲んでごろごろさせてあげなさい。
夏はもっと些細な欲望を開放させていいはずだ。
君は夏と愛のスコールの相性の良さを知っているか?
もっと夜が涼しくなれば、これを片手に散歩してみてくれ。
きっと、オツに浸れる。
いつもならアイスは一日2個までだけど。
そんなルールはもういらない。
夏は特別アイスを何個食べてもいい。 全部夏のせい。
夏にカメラを片手に散歩してみてくれ。
きっと普段見えない夏らしさを見つけられる。
きゅうりが家になっていた。
なんだかすごく愛くるしい写真が取れた。
夏はあつい。
その事実は変えられない。
ならば、その暑さを受け入れて、自分をちょっとだけ甘やかせて、夏のいい部分だけを全力で愉しめばいい。
学生時代の夏休みは始まりを告げると同時に、夏休みの終わりも感じる。
それほど早く感じる季節。 刹那的季節。
だからこそ、僕らは一日一日を暑さに負けないで生きなければならない。
全力で夏を楽しむために。
まぁつまりは「夏を愛さざる者、真の夏を得ず。」
ということだね。
夏は熱いだけじゃない。 アツい季節なのかもしれない。
ワールドカップを見ないだけで軽蔑した目で見るのやめろ。
今ワールドカップやってるそうですね。
場所はロシアらしいですね。
なんといってもスポーツ観戦に興味がない私が、この情報を知ってるだけですごいことだと思ってほしい。
家族全員日本対コロンビアかコロンブスか、ごろ寝ブスかなんかの試合見てます。
母親は言いました。「あんたサッカーみないの?」
僕 「見ないに決まってんだろ」
わかりますかね?興味が無いんです。
昔はサッカーのせいで見たい番組がやらなくてキレたこともあります。
たぶんこち亀とかボーボボとか結構そのせいでやってなかった気がします。
そういうのはスカパーでだけでやってほしい派なんです。
でもね、こういうことおおっぴらに言うと世間からは冷たい眼差しで見られます。
軽蔑されます、差別されます。
「え、サッカーみないの?」
なんてこった。 サッカーを見ないといっただけでこんなに非難される世の中になったのか。
じゃあテメーは「40代のおっさんのカバンの中身に興味ある?」って聞かれたら答えはNOだろうがよお(いや、ちょっと気になりはするけども、もしかしたら離婚届とか入ってたりして?とか悲壮感にあふれる妄想をしてしまうけども、)
たとえば、サッカー見ないの?って言葉が余分です。
もしその言葉を聞かずに、たまたまサッカーの試合がやっていたら1分は見るかもしれません。
けどね、サッカーみないの?って言葉のせいでもう確実に1秒でチャンネル変えますね。意地でも見ない。
とか言って変えた先でサッカーのリプレイとかやってんの、なにかに取り憑かれたようにサッカーサッカーって、平安時代の貴族でも蹴鞠よりも短歌だったってのに。
サッカーの発祥ってなんなんでしょうね。まぁ興味ないんで調べないですけど。
あと、サッカーのオフサイドってルール何なんでしょうね。
あんま知らないんですけど、そろそろルール変えたほうがいいと思います。
そういえば僕小学校の頃サッカー部だったんですけど(一年でやめた)、二軍の補欠からわかるように、あまり上手じゃなかったのでずっとスライディングで相手を転ばすことを楽しみとしてました。
でもね、サッカーうまいやつってそんな俺のことも軽々と超えていきやがるんです。
そういうところもサッカーがあまり好きでない理由ですかね。
まぁ結論として言いたいのが、
自分の好きなものを強制的におしつけるのは良くないよってことです。
夢をあきらめるなという大人に限って夢を追いかけるのを諦めた大人が多い。
みなさん。
どうですか、最近ババアのたわごとだらけの雑談を電車内で聞いて耳が腐ってますか?
そんなみなさんに朗報です。 その鬱憤をインスタストーリーで発信してみてください。友達を引き換えにスッキリできますよ!
さて、今回はこのテーマ。
「夢をあきらめるな」
このありふれた言葉であります。
夢をあきらめるなという言葉はどんなシチュエーションで聞くことが多いでしょうか?
それは大人から子供に向かって放たれるときです。
しかも、その言葉は夢を諦めた大人から発信されることが多い。とてつもなく説得力は低いです。
覚えたての難しい言葉をやたら使いたがる子供と同等レベルの説得力です。
だから僕は10代のころはこの言葉を半分右から左へ受け流していました。
でもね、就活が近づいてきて思うのが、この言葉が相当響くということです。
自分の夢というのは大人になるに連れて現実と均衡が取れず、諦めざるをえないんです。
恋人がいるから、その人と一緒にいればどんな職業でもいいや、夢は二の次でいいや、そんなふうに一時的には思うかもしれません。
でも、それって実際はもしかしたらどこか逃げてしまう不確かなものかもしれません。
だから、大人たちは後悔の念とともに子供に偉そうに語るのです。
夢を諦めるなと。
でも大人になるに連れてわかります。
この言葉の意味を。 激しく共感します。 大人たちがどんな気持ちでこの言葉を発していたのか。
僕は大人になったらこう言ってしまおうかな。
さぁ夢はできるかぎりがんばろうぜ
Momが好きすぎる件について。
5月もおわりもう6月ですよ皆さん。
もういろんなこと5月病のせいにするのはもうやめたげて!!
人はいつ何時でもなんでも嫌なことは人のせいにしたいんですよ。8月は暑さのせいにするしね。
それで最近僕は寝付きが悪いんですけど、その理由は正真正銘Mom氏のせいである。
あれはいつ頃だっただろうか、4月の終わりくらいにツイートが回ってきた。あのとき耳に入った音楽はすぐさま頭に焼き付いた。
そしてその中毒性に足を取られてハマってしまった、、、
電車に乗ったり、散歩したりするとき音楽を聞こうと思うと普段はiTunesを開く僕はMomの「スカート」を聞いて以来YoutubeでMomを検索するか、SoundcloudでMomと打ち込んでいる。
ひどいぜ、僕をこんな体にしちまって。。。
ずっとあんたの曲聞いてるよ。
僕はずっとこういう音楽聴きたかったし、たぶん自分がこういう音楽をやってみたいと思ってたんだ。
でもこんなにも簡単にそんな理想を超えてくるのはずるいぜ。
あぁーめっちゃMom好きだけど好きすぎるがゆえの嫉妬がすごいよおお大好きだよ。
それでこの曲を聞きまくった僕は他の曲も聞いてまた沼にハマるんだ。
でもやっぱ「スカート」と「That Girl」を一番に聞いてるからそれを聞いて思ったことを書くよ。
もうこのフローもグルーブ感も全部すきなんだけどさ、この曲ってなんてジャンルなんだろうって思う。ロックではないし、ヒップホップかと聞かれてもなんかすんなりと頷きたくはないような、はやりのシティポップかと言われたらどうだろうか、たしかにそれが近いかもしれないけど、やっぱなんか新しい時代の風を感じられるんだ。
だからジャンルなんてどうでもいいよねっていつも自分に言い聞かせてる。
この曲はずっと同じビートなのに、なんでこんなにも表情が豊かなのか、韻が心地いいのになんでこんなにもメロディックなのか、教えてくれよ、どんな魔法を使ったのか。
そして僕は歌詞がすごい好きなんだ。
全部好きだけど特に好きなところをピックアップするよ。
きっとこの瞬間 両手を広げ 無限を全身で感じたら 享楽だったり芸術に 足を取られることもないはずさ
いつもこの部分をイヤホン越しに聞いてると数秒間くらいフリーズしていろんな考えを巡らせてしまう。
「享楽だったり芸術に足を取られることもないはずさ」
きょうらく【享楽】
《名・ス他》快楽にふけって、十分に楽しむこと。
げい‐じゅつ【芸術】
1 特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。
享楽だとか芸術って普段いい意味で捉えることが多いと思うんだけど、彼はそれらに足を取られてしまうことを恐れていると歌詞を書いた。
ここで僕はいつもフリーズするんだ。
なんで享楽だとか芸術はだめなんだ。(悪い意味なのか)
僕は一生懸命ない頭を働かせる。
享楽はすごい楽しいこと、芸術は表現の追求だ。
でもこの2つってのはどうしても周りが見えなくなることが多い。
けれど無限を全身で感じれば問題ないんだってさ、無限ってなんだろう。
君の心の中かな?
君の心の中を感じられたら、他の享楽や芸術とかどうでもよくなって君だけに夢中になれるんだって意味なのかな?とか考えてみたり、とにかくそんな考えをするのが毎日楽しくなる。
自分に投影してまた新鮮な気持ちで聞いてる。
情けないけど気になる休日 流行りの服に疲れたミュージック 埃をかぶる気持ちに 優しく息を吹きかけてあげるよ
「情けないけど気になる休日」
情けないけど君が休日何をしてるのか気になっちゃうなーでもそれを君に聞いて引かれたら嫌だしなーってことかと自分で思ってみたり。笑
流行りの服に疲れたミュージックってすごいパワーワード、
なんでこんな言葉が思いつくんだよ。
うわあああこの言葉を思いついた彼にもし会えるのならいろいろなことを聞きたい。
なんかおこがましいかもだけど語りたい。
あぁぁみんなMomについて語ろうぜ。
早く。
「That Girl」を書くには長くなりすぎちゃうからまたの機会にしよう。
ってかみんながMomにハマってから直接語れたらいいのにな。
PS:もう10人以上にはおすすめしてるよ。