デリシャスタイム

ただ感情の隆起した部分をここに詰め込んでるだけです。

特別編「オレの社説」 お魚の食品偽装編 ギョギョギョ!

こんにちはどうもディレク・ジーターですおぼえてますか?そうですね、ジップヒットを売ってました。

www.youtube.com

 

このCM好きなんで紹介したかっただけです。

 

今回紹介する記事はこちら

headlines.yahoo.co.jp

 

この記事を簡単に要約すると、オセアナ(海洋保護団体)の調査によると全米数百箇か所の市場、飲食店で売られている魚介類サンプルを調べたところ499匹中94匹(全体の約21%)に相当する魚の表示が誤っていたというもの。

さらに高価な魚ほど表示が誤っているらしい。

例えばシーバスがパルメットバス(ホワイトバスとストライプバス(シマバス)の交雑種)やバラマンディであったりした。別の例でいうと、ワシントンではレストランでシーバスとして出された魚がナイルティラピア(チカダイ)だったとか。

 

このニュースをみてまず思ったのが魚の名称が読みづらいということだ。

特にナイルティラピア(チカダイ)ってのはやめてほしい。ナイルティラピアなのかチカダイなのかはっきりしてほしいんだ。

 

安倍晋三ドナルド・トランプ

鳩山由紀夫金正恩

くらい紛らわしい。政治色を出してしまうと誰かに消されかねないのでここらへんでやめておきたい。

まぁ上記の例は言い過ぎかもしれないが、ジーコオシムくらいには紛らわしいだろう。

ちなみにオシムの本名はイビチャ・オシムで、ジーコの本名はアトゥール・アントゥネス・コインブラらしい。

友達がジーコのはなししたら「あぁアトゥール・アントゥネス・コインブラね?」

と訂正してあげてほしい。(ただし友達がいなくなっても保証はしない。)

サッカーについてあまり知識がないのでこれ以上追及するのはやめておく。

 

あと魚が本当に似ているのであれば、食品偽装されても気づかないと思える。しかし調べてみたらそうでもないらしい。

 

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シーバス

 

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パルメットバス

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ナイルティラピア


かなり違う。。。

でもまぁこの記事によると

 地魚を好む人々に付け込んだビジネスだと報告書は指摘している。表示を偽装しがちなのは、魚介類の輸入販売に厳しい基準を設けていることの多いスーパーマーケットよりも、飲食店や小規模な鮮魚店だという。

 

確かにレストランで出されても味についての違いはわからないだろう。この魚たちが切り身にされて出てきたら見分けはつかないのかもしれないな。

 

 

しかしこのようなことはなにもアメリカだけの話ではない。

日本でも食品偽装が身近な場所で行われているのだ。

日々我々の口にするお寿司にも食品偽装表示があるのだ。

時々回転寿司で「本マグロ」なんて札がお皿に乗って回ってくることがある。しかし、その後ろに列をなすのはどうみても「本マグロ」ではなく、「イカ」だったりする。

あと「えんがわ」という札のあとに「いくら軍艦」が列をなしたり、「甘エビ」が「生えび」だったりする。

あれこそあきらかに偽装表示なのにもかかわらず誰も抗議しないし、炎上もしない。

誰も何も言わないが、実は気が付かないうちに食品偽装表示を目の当たりにしているのである。

 

もし、偽装魚が毒を持っていたらどうするのだ。

そんなものたべたら

まさにーロシスである。(逆から読んだらスシロー)

 

 

 

 

 

 

 

就職活動 考え方を考えろ、そして考えるのをやめるな。

就職活動について考えるとき、仕事ってなんだろうって考える。

僕は仕事って考えることだと思う。もしぼーっと作業的にタスクをこなすのであればそれはただの作業だ。まさに広義的な意味をもつ仕事だからこそ、就職活動においてそこを考えるのは重要だ。

就職活動していてよく聞かれるのはなぜこの会社で働きたいか。 そんなの最初から考えてるわけないから最近になってみんな考え始める。

でも、なんでそこの会社で働きたいか。それは自分の人生体験に起因する。てかさせる。

つまり、なんか少しでも興味があればいいんだ。好きだからということを理由にしていけないなんて誰も言っていないし、少しでも好きならいいんだ。

あとは今までの人生経験のなかでそれが好きな理由とか、どうしてもやりたい理由を生み出していくしかない。

もしなければ今から作ればいい。 好きな企業を一生懸命調べよう。 死に物狂いで調べたらたぶんその調べた経験って面接で言える材料になるんだ。 まず面接の第一声で「私は今日来た就職活動生のなかで一番弊社について詳しいです」を言ってやれ。

 

今までの体験を文字で残していた人はすごい有利だ。

だからみんな日記を書くことは本当に大切なことなのかもしれないな。まじで。人生豊かにするというか自分との対話の時間を持つことは自分を成長させるよな。

 

自己PRしてくださいやら、長所や短所を教えてとか言われたことはない。

今まで「あなた長所はここで、短所はここ」なんて言われる機会早々ない。そういうのは接する中で感じ取って一人ひとりにラベリングをする。この人はこういう人だからこういう対応をしようとか思う。ラベリングは言葉ではなく行動に現れる事が多い。

 

これまでの環境は知っている人の中で作られるコミュニティであったり、学校に来ているという共通理念の基つながっている人ばかりだ。

大学というのはだいたいが試験で入るし、学校に行きたければ勉強していい点数を取るだけで進学への切符は手に入った。

けど、就職活動はちがう。自分を自分で売り込みに行く。自分をプレゼンテーションする場なのである。

 

だからこそ自分について考えて一回考え方を変えて考えて、誰かに考えてもらって、誰かの考えを聞いてそれを自分の考えに落とし込んで、考えて考えて考えまくってる(たぶん)

 

就職活動がんばろう。みんな。

 

 

 

炭酸水

炭酸水を飲んでて思った

味はしないけどシワッってする

「のど」というよりは「むね」をちょこっと苦しくさせるくらいには刺激的よね

コーラみたくあじはしませんよ?でも、だからかな?ダイレクトに刺激ってヤツがほんとにシゲキテキだし、カイカンなんだよね。

ボクも人生ときにはシワッと刺激的な炭酸水みたいな人生おくってみたいものです

でもそれはきっと若者だからそう思うのかな?おじいちゃん、おばーチャンになったらさ、ジワァーっと温まるようなあったか〜いお茶みたいな人生がいいのかもね。

だからお年寄りってお茶好きじゃん? たぶん。

スポーツとカルチャー

山田ズーニー著  あなたの話はなぜ「通じない」のか

にて具体的に自分の意見を交えつつ問いを深めるというテーマがある。その中でシンクロナイズドスイミングについてを例にとっているのだが、
一部抜粋

「シンクロナイズドスイミング」というのをいったん忘れて、「プールでのおふざけ」「超お笑い水上ダンス」とか何でもいいのですけど、このお姉ちゃんたちはプールでただふざけているだけっていう視点で改めて鑑賞したらすごく〈笑える〉んです。

 そもそもスポーツのはじまりは誰かのやった〈遊び〉だ。とすれば、この競技の〈遊び〉の部分を一瞬にして理解した気持ちになって自分もやりたくなる。もし審査項目に〈笑い〉があったなら・・・。

 「プールで踊ってみよう」そのような〈遊び心〉が競技、国際的なスポーツに発展する。この遊びの中で〈笑い〉という感性は生き残れなかったのか。

 もしかして選手の中に〈笑い〉を意識した演技があったかもしれない。審査項目に〈笑い〉があったとしても審査員に〈笑い〉の理解がなく(折り合い)がつかなくてやめていく選手もいるのだろうか。

これは特に見方を変える(人とは違う視点で見る)ということは時に人の想像力(妄想力)によって何倍も面白くみることができるという例である。

 例えばスケートも同じような感覚でみることはできるだろうし、バレー(ダンス)もある意味芸術のようなカルチャー的存在とスポーツの融合であるだろうし、ダンスなんて特にそうだ。

体育の授業でダンスは取り入れられているしスポーツといっても過言ではない。

ヒップホップダンスはなんとなくカッコいいだけではなく面白さ、ユーモアセンスだって鑑みることはできるだろう。(スポーツであるにしても)

 スポーツとカルチャーや芸術には今まで全くの関係がないと思っていたが、それは決して違うのだと思ったのだ。

 音楽や映画には文化的時代背景やさまざまな歴史的バックグラウンドがある。けれどスポーツに興味のない僕はスポーツにその関連性を見出せないでいた。しかしそれは違う。

別にスポーツが好きでなくても、視点を変えれば面白くみることができるし、文化的つながりも調べれは興味のカケラとなってくれるのだと知ったのだ。

私は何者であるか A Greatest Problem

あなたは何者で何がしたいのか、何をすべきなのか、何が向いているのか。

 

しらない。

僕はその答えを知らない。

ずっと知らないで生きてきたし、そのままであることがもはや答えとなっている。

 

そこまで苦しみや辛さを伴う努力や経験はしていないし、なに不自由なく暮らしてきた。たぶん。

だからこそ。だからこそだ。

自分はどんな人間でどんなふうに生きてきて、自分だけのストーリーを語れと言われたら語れない。

それがあまりにもつまらなく、退屈だと感じてしまうからだ。自分の人生を映画化すれば1時間映画の中で面白いシーンはほんの数分程度で、あとはずっと退屈なシーンかもしれない。だし、小さい頃の記憶が驚くほどに希薄だ。

 

世の中のコミュニティは多様であるし、社会はその中で自由に発言して、発信することを望んでいる。

嘘である。

社会は自分を隠して隠して臨機応変に、人によって態度を変えつつ、仮面をかぶりつつ、何者かに変身しながら生きていくことを望んでいる。これが真実だ。

世の中にはあまりにも負の感情をさらけ出す場所が少ない。まさに自分がこれだと思える場所が、居場所が少ない。というかないと言ってもいいかもしれない。

 

だから、僕たちは自分の気持ちをはっきり言えている音楽や、映画や、小説や、漫画や、芸術や、それらすべてのカルチャー的影響力に憧れを抱く。

 

自分の本当の気持が言える。どんなことを言ってもいい、合うたびにまた会いたくなるような人間関係をあなたは持っているか。

 

あなたが何者であるか。

それを証明してくれる存在がいるかいないのか。

人生にとって気づきにくいが大きな大きな問題だ

小説を書きたいのですが、文才がないし、

ずっと青春に肩入れしている男の話(童貞)

 

「青春」その文字を聞いたとき人はどのようなイメージをするだろう。

 

初恋、友情、仲間、汗と涙。

想像力の低い私にはとりあえずこれくらいしか思い浮かばない。なんたって今朝の10時半だし、きっと夜になればもっと思い浮かぶのかもな。

まぁそんなことはどうでもよくて、青春ってなんだろうって話だ。

もしかしたらいまみたいなどうでもいいことの蓄積が青春の意味なのかもしれない。

 

これは冴えない男の人生であって、そんな冴えない人生を生きてる自分かっこいいとか思うような所謂中二病が抜けきれてない21歳童貞の話なのだけれども、そんな話誰が聞きたいんだと思う人99%、でも残りの1%(自分自身)のために書くんだ。

だれが小説を自分のために書いちゃいけないと言った? 自己満足のオナニーブログなんだから自分のために書くのが当たり前だろクソが。

 

 

第一春

 

「青田春男14歳、中二病にかかる」

おはようございます。みんなと絶対的に違う存在になりたい、青田春男14歳中二です(未来の21歳童貞) みんなと違っていたいので、朝登校したときにはプラスティック製の黄色と黒の鎖を手に巻いて行きました。初日で没収されましたが、自分をアピールできるいい機会になりました。

好きなアニメは俺妹、嫌いなアニメは女のふざけた妄想がまかり通る世界でおなじみ恋愛漫画、恋愛小説デッッッッス!!

 

僕好きな人ができて、メールで告白しました。「僕が好きって言ったらどうする?」みたいなことをメールで聞きました。たしかにーチキンプレイと罵られればそれまでですが、だけどいいじゃないですか。だって最終的には付き合えたんだから笑。

そんなこんなで彼女いたんですけど、それがまぁ21年間生きてきて唯一彼女と呼んでいい女の子です。でもまぁ別れてしまうんですけどね。

 

第二春

 

青田春男、21歳、就活生。童貞。

風俗に行くも、50分コースで32分残すという男。 射精時に出た言葉「いきま~す」という腑抜けたアムロ・レイのような声。

もはや童貞で有ることに誇りを持っている。

フラれること(ここでのフラれるはご飯に誘うも断られる。然り、ご飯に誘う前にこいつ興味ねぇなと見切りをつけて諦めることも含む)10回以上。

すぐ人を好きになるし、好きになったらすぐにその人が運命の人だと思いこむ。

しかもその後すぐ結婚したいくらい好きだと思いこむが、時間はそれをまやかしだと気づかせてくれる。

2ヶ月後には新しい可愛い女の子を好きになり、手のひらを返したように同じことを言っている。それが私だ。 

顔がいいわけでもないのに、ファッションに気を使ってみたり、髪型もパーマにしてみたり、ピアスを開けてみたり、終いにはタバコも吸い始めちゃってクッソださイキリオタクだ。

自分が周りで一番おもしろいと思いながら生活しているくせに、人見知りで社会適合性は低い。

最高にダサい男だし、青春はまだまだ続くとか考えてるからタチが悪い。子供のままで大人になったと言われてみれば聞こえがいいが、そんないいものではない。

 

そんな青田春男は就活を始めるのだが、就活を続けていくうちに自分の夢を追いかけるか、諦めるか、そんな選択を迫られている。

でも夢って言っても、歌がうまいわけじゃないし、曲を作ってもそこそこの出来だし、ましてや絵が上手いわけでもなく、芸術基質はあまりないだろう。けれども春男はなにか誰かに届ける仕事がしたい。自分の好きな仕事がしたいと願ってやまないのだ。

 

そんな男が事件を起こす。

だれしも心にクロちゃんというモンスターを飼っている説

みなさん水ダウ(水曜日のダウンタウン)みてますか?

ネットで話題の「モンスターハウス」という企画がありまして、男女6人がシェアハウスする恋愛モニタリングドキュメンタリー的な番組でして、企画自体は「テラスハウス」丸パクリです。

けれど、見てみると全く別物として捉えるべき番組だと思いました。

結論から言えば、これは恋愛モニタリングドキュメンタリー的な番組ではなく、

嫌な自分を見つめ直すための自己啓発番組だったのです。

 

最初から最新の回まで見たのですが(たしか次回最終回)、ネットではキモいだの、クズだの、嘘つきだの、世間の嫌われ者のような扱われ方で、批判殺到です。

平気で二股をして、嘘つくし、女の子がさっきまで座っていたソファーに顔を押し付けてみたり、なんかいろいろ世間体という概念のぶっ壊し的行為をしまくっているからこそ、そのような評価となってしまったのでしょう。

 

確かに最初の方は私もテレビだからだろうと面白半分で見ていたのですが、、、回を重ねるにつれて、私の考えはだんだんと変わってきました。

 

私はまるでクロちゃんのことを、自分の黒い部分が人形になって現れたかのように思えたからです。

つまり、誰しもクロちゃんのようなゲスかったり、ずるかったりする部分をもっているということに気づいたのです。これはテレビですから、そこまでのメッセージ性より、異様なものを見るときの好奇心を誘ったりするだけの意味合いしかないかもしれません。

しかし、私にはもうそうとは思えないのです。

 

クロちゃんが二股をして嘘をつきながら隠そうとしてたこと。

これはみんな口に出さないだけで、やっている人なんていっぱいいます。

二股してる男なんていっぱいいるし、出ているタレントも全員かわいいんだから、本能に従ったまででしょう。

そして、一人脱落者をクロちゃんが選ぶシーンでも、自分と恋愛ができる確率が低い人を落としたり、男子ルームメイトを脱落させない代わりに手出しをさせないようにしたり、もちろんこれが道徳的にいいとは言えないかもしれない。

けれど、(そのような行為を実際にしていなかったとしても)誰しも自分の黒さをもっている。(クロちゃんだけに)それをこの番組は気づかせてくれる

さらに現実的にこの番組が人気になっているのを加味すれば、きっと視聴者も黒いものを見るのが好きだし、怖いもの見たさが故の面白いがあるのだ。

テラスハウスよりも生々しい人間らしさがある。 だから惹かれるのだ。

 

クロちゃんは嫌われ役を買って出て、さらに僕たちになにか大切なものを気づかせようとしている。クロちゃんの行動力を見習うべきだし、「クロちゃんみたいに人を傷つけるようなことはしちゃいけない」と気づくべきだ。

だからこそ我々視聴者はクロちゃんを反面教師にしなければならない。

 

誰しも心の中にクロちゃんを飼っているのだから。